『還相廻向について』
阿弥陀さまの御誓願の中に、第二十二に還相回向の願いがあります。されば、先だった人がすでに浄土にまいっておらるるならば申すまでもなく、わが身が往生するなり相会してお物語りができることは勿論であります。しかるに、もし六道に輪廻しておらるるものとすれば、ここに還相廻向の御利益がありまして、いかなるところに迷うておらるるとも、必ずあわせていただいて、たがいに物語りをすることができます。しかしながら自分はさとりの身なれば、わが子なり、わが親なりとしることができましても、むこうはまだ迷いの身なれば、親を親ともしらず、子を子ともしることはできません。さりながら向こうはしらずとも、こちらにはよく分かっていることなれば、種々に方便して済度することが必ずできます。
また地獄におちたものも、軽き地獄なれば娑婆をみることもあるとしてありますが、これはみえるのが即ちこの地獄の苦しみの一つなのであります。そこで娑婆を見ても、わが身のためになる善きことは見えません。娑婆にのこれるものが、死せるわが身に対して不実のことを行うことなどが見えて、怨(うらみ)をのんで泣き苦しむばかりであります。それも軽き地獄の苦患(くげん)の一つとしてたまにあることで、重き地獄なれば、絶対に娑婆などは見れません。
余門余宗では追善供養をして先だつものの為にしますが、わが真宗ではさような小さき御利益に目をつけさすことをお嫌いになります。たといお読経の功力によって、しばらく地獄の苦患をやすませていただくくらいのことがありましても、そのくらいの御利益はこのましき事ではありません。それに、あとにのこれる人が、ただかくの如き追善供養にのみ心をとられて、後生の用意を忘るるなれば、自分もまた三悪に沈んで親子兄弟ともども、三界をいづるときがありません。そこで真宗には、まずわが身がご信心を頂いて往生をとげ還相回向の身となり、済度させて頂けば、親子兄弟もろとも結構なおさとりが得られるのであります。
お聖教のたとえにも、子供が海に落ちた場合に泳ぎの道をしらぬものがすぐに海にとびこめば、親子もろともにおぼれます。船に乗って助けにゆけば、親子ともども助かります。今もそれと同じく、自力の追善供養で済度せんとするは、はなはだ心もとない事であります。それよりわが身がまず弘誓(ぐぜい)の船に乗せていただいて済度させて頂けば、親子もろとも幸福がえられることであります。
(たかまつ ごほう 真宗学寮初代学頭・本願寺派勧学)
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