群萌と雑草

 

私の友人より聞いたのですが、「ある植物学者が、雑草と言う名の植物は無い」と言われたそうです。ハッとしました。一本一本に総て名が付けてあるのです。

 

雑草という言葉には、何もかもゴッチャにした感じがします。『浄土三部経』には、浄土の荘厳相を示す為の「雑華雲」とか、「雑色之鳥」の言葉は有りますが、救いの相手を表わすのに雑草の語は使用されていません。

 

『仏説無量寿経』には「群萌(ぐんもう)を拯(すく)ひ」と説かれ、親鸞聖人は「一切の群生(ぐんじょう)」と言われます。「群萌」とか「群生」には、芽生えて来た一本一本を大切にして、面と向き合って行くと言った感じがします。

 

本願の「十方の衆生」を、雑草のように考えますと、多人数の事だから私一人ぐらいは救いから漏れはすまいか、という不安がありますが、「十方の衆生」とは決して多くの人々を一まとめにして、喚びかけられるのではありません。中国の善導大師は「十方の衆生」を「汝」と一対一に受け止められました。

 

三十年ぐらい前の事になりますが、私が広島のある寺院に出講した時です。それは十月十一日から三日間の法座でした。十二日の昼席の後、四十歳代の奥さんが講師部屋に訪ねて来られ、「私の姉が今、呉の国立病院に入院して居ます。ほんの一言でいいですから、法話を聞かせてやってくださいませんか」と依頼されるのです。全く知らないお同行です。臨床法話は責任が非常に重大です。そこで「今直ぐにと言うわけにも参りませんが」と言いました。「姉は癌の病気で、今年中の命だそうです。何とかしてあげたいと思うのですが、もう絶望です。法話を聞いて貰うのが一番良い事だと思ってお願いに来たのですが」。 

「そうゆう事なら、明日此処を済ませて行きましょうか」。「そうして頂けば、私も本当に嬉しいです。病院の都合を聞いて来ますから」と言って帰られました。


翌日「病院も今日は都合が良いそうです」との事。「それでは」と、十三日の法座の後、タクシーに同乗して呉に行きました。車中「貴方はこの寺のご門徒ですか」と聞きますと「私は広の出身です。私の亡き母が、よく念仏を喜び、私を連れてはお寺にお参りしておりました。姉は高校に勤めて居りまして、今までそうした縁が無かったのです」と。

 

私は病院に着き、病室に入って驚きました。五十歳位の奥様がベッドの上に正座して待って居られるのです。「どうぞ楽にしてください」と言いますと、「今日は気分が良いので、こうして居ますから」と言われます。

 

私は最初言いました。「今からお話しする事は、貴方の亡きお母さんが喜ばれたみ法です。そして貴方にキットこの道を来て欲しいと願って居られる道だと思って聞いてください」と。専門語は使わないようにしました。

 

浄土真宗は阿弥陀様の智慧によって見抜かれた私の本当の姿を知らせて頂くのです。何とかすれば何とかなると言った生温(なまぬる)い事ではありません。もう如何にも出来ない私を、ハッキリと教えて頂くのです。しかもそれを【心配するな、任せよ、大丈夫】のお慈悲の中で聞かせて頂くのですから、聞いたままがもう救いです。自分の計らいを捨て、阿弥陀仏に任せ切った大安心の境地です。「どうぞ念仏を大切に」と言って帰ろうとしましたら、その奥さんが言われました。「聞かせて頂いて見ると、本当に有り難いみ法ですね。しかし私の様な者でも救われるのでしょうか」と。今まで聴聞したことが無いのですから、誠に素朴な質問です。しかしこれが浄土真宗の真髄に触れて行く大切な質問です。私はこれがもう最後と思って言いました。「いま貴方は、私の様な者でも、と言われましたが、私の様な者でもではありません。私が救われなければ、本願も名号も浄土も意味が無くなってしまうのです。私を目当ての本願であったと喜んでください」と。奥さんがニッコリと微笑まられ、「聞かせて貰って良かった」と言われた言葉を、今も私は忘れる事が出来ません。

 

親鸞聖人が『唯信鈔文意』の初めに法照禅師の「五会法事讃」の文

 

如来の尊号は 甚だ分つこと明なり

十方世界に あまねく流行せしむ

 

を引用され、それを解説されています。

 

先ず「如来とは無碍光如来なり」と言われます。これは阿弥陀様の量りなき智慧は、そのまま私を救うための智慧で有る事を示す為です。その尊号が諸仏のそれとは尊く勝れているのは、弥陀の本願が優れているからだと言われます。

 

「甚だ分かつこと明らかなり」とは、名号の働きは勝れて、衆生をことごとく分かち、明らかに一人一人を見極めて、はたらいてくださるのだと説かれます。(取意)

 

しかも私は無始よりの迷いの凡夫です。阿弥陀様は、その私の為に立ち上がって下さったのですから、阿弥陀様も無始より以来の仏様です。親鸞聖人は(註釈版五六六頁)

 

弥陀成仏のこのかたは いまに十劫とときたれど

塵点久遠劫よりも ひさしき仏とみえたまふ

 

と讃嘆されています。

 

蓮如上人は『御一代記聞書』に(第九十九条)

 

一、久遠劫より久しき仏は阿弥陀仏なり。仮に果後の方便によりて誓願をまうけたまふことなり


と述べられます。十劫の昔に成仏されたと説かれるのは、果後の方便と言われます。

 

それは無始より以来の久遠実成の阿弥陀仏が、よき手だてを以て、何度も何度も因位の法蔵菩薩に降りては成仏されて、多くの衆生を一人づつ救われる事を言われたのでしょう。

 

これをもう一歩深めて味あうと、私には私の為の十劫成仏があり、貴方には貴方の為の十劫成仏が有ったのだと味わえます。いよいよもって浄土真宗は、私の為のみ法であり、これが「十方の衆生」と総ての人に広がって居るのです。(完)                


(たけた きみまる 広島仏教学院講師・順正寺前住職)