子どもにわかる『正信偈』のおはなし(二)

 

今日は、りく君の家では、月に一度のお参りの日。りく君は、家族といっしょに、お寺のご院さんから『正信偈』のお話を聞いています。

 

りく君

ご院さん、『正信偈』にでてくる「ほーぞーぼさつ」って、どんな人?。

 

ご院さん

いやぁ、りく君はむずかしいことを聞いてくるなぁ・・・。

そうだなぁ、「法蔵菩薩」はね、あみださまの深い深い〝真まごころ 心〟をあらわした言葉なんだよ。

 

りく君

ふかい、まごころ?。

 

ご院さん

そう、真まごころ 心。うそ・いつわりのない真実の智慧と、すべての者を包み取って離さない真実の慈悲、という意味だよ。

 

りく君

どうして、まごころが人の姿になるの?。

 

ご院さん

うーん、それはね、「人」の姿ではなくて、「おはたらき」の姿なんだよ。法蔵菩薩のお姿は、あみださまの真心のはたらきがあらわされているんだ。

ところで、りく君は、「心」が見えるかい?。お父さんの心、お母さんの心、そして、りく君の心・・・。

 

りく君

心は見えないよ。

 

ご院さん

そうだね。心は見えないんだよ。心の広さも、深さも、私たち人間には見ることができないんだ。見えないけれども、はたらいている。届いている。

例えば、ここに一枚の紙があるよね。この紙のなかに、雲が見えるかい?。

 

りく君

くもぉー?。

 

ご院さん

「くも」といっても、虫の「蜘蛛」じゃないよ。空に浮かんでいる「雲」。

ご院さんも、子供の頃に、お父さんから教えてもらったんだ・・・。

紙は、木からできているでしょ。だから、一枚の紙が作られるには、木が必要になる。木が育つには、豊かな雨が必要で、その雨は雲によってもたらされる。たった一枚の紙には、それほど深い深い因縁があるんだ。

それと同じように、あみださまの真まごころ 心のはたらきも、私たちには目には見えないんだ。見えないんだけれど、計り知れないほどの、深い深い因縁があるんだ。

それを私たちが感じることができるとすれば、法蔵菩薩のお姿でしか、あらわすことができない。法蔵菩薩の、長い長い思案と、それ以上の長い長い修行のお姿でしか、あらわすことができないんだね。だから、お釈迦さまは、目に見えないあみださまの真心を、「法蔵菩薩」というお姿に表して説いて下さったんだよ。

 

りく君

ふーん。よくわからないけど、心が「深い」んだね。

 

ご院さん

深いだけじゃない。広さも、あらわしているんだよ。おはたらきの深さは、「何があってもりく君を包んで、離さないよ」。おはたらきの広さは、りく君だけじゃない、「すべての人を包んで離さない」という心が表されているんだ。

 

りく君

「ほーぞーぼさつ」、深さと広さの、おはたらき・・・。なんだか、あたたかいね。「ほーぞーぼーさーつ、いんにーじー」。

ご院さん

法蔵菩薩は、あみださまのおはたらきの姿。さあ、最後にみんなで手を合わせて、みんなを温かく包んで下さる、あみださまのお心に、感謝を申し上げましょう。

 

みんな

なもあみだぶつ、なもあみだぶつ。

 

お・わ・り

(なかむらえいりゅう 広島仏教学院講師・最広寺副住職)